小さなIT革命 龍物産の軌跡

=前置き=
「龍物産」は、1996年にインターネットショッピングサイトとして創業いたしました。当時は、日本語のショッピングサイトはほとんど無く(「楽天」は1997年開始)、今日のようなスタイルが確立される前のことでしたので試行錯誤する楽しみがあったことを覚えています。現在はリニューアル準備中ということで閉鎖しています(閉鎖後、3年が経過してしまいました)が、また新しいアイデアが湧いてきたら再挑戦するつもりでおります。
実質2年間ほどの開店期間でしたが、5,000アイテム以上の商品の販売をいたしました。当初、まさかこのような反響をいただけるとは思ってもみなかったものですからFAXが送られてくる度に「世の中変わるもんだな」と感じたことを鮮明に覚えています。
前置きが長くなりましたが、「小さなIT革命」の全容を公開いたします。

東京アンテナ工事(株)代表取締役社長 三矢 宏

このページは、テレケーブル新聞社発行のテレケーブルグラフ2003年夏季号及び秋季号に掲載された記事を中心に構成されています。(構成日:2005年11月)



=前編=
1996年、春。ショッピングサイト「龍物産」、開店。
東京アンテナ工事(株)は、テレビ電波障害の調査・設計・施工・保守及びCATVや衛星放送の業務を行うテレビの工事屋だった。しかしパソコンに関しては、企画開発部長(現、社長)が「パソコンおたく(当時の愛読書は「OH!PC」ソフトバンク刊)」であったため、早くから書類のOA化や光ディスク化を行うことを推進しており、既にNEC系のパソコンがLANで繋がっている環境が整っていた。
「インターネットが面白いらしい。」
1995年夏頃からパソコン仲間からその情報を度々聞くようになっていた。ノートパソコン(98NS/T)をオムロンのモデムに繋ぐとパソコン通信ができた。「モザイク」というソフトで画像が見えるパソコン通信をインターネットと呼び、アメリカのスゴイ画像を見ることができる。らしい。
早速、調査を始めると、どうもプロバイダーという「スゴイ会社」と契約をしてそこへ接続の度に電話をするということがわかった。早速、会社のMS-DOSパソコン(NEC製、DOSのバージョンは5.0)にMS-WINDOWS3.1をインストールして、ラッパのマークのTRUMPET WINSOCKでインターネットを見ようと思ったが、たいへん面倒くさかった。
「インターネットはたいへんだ。」
上記のような経験をしてしまうと個人的には満足なのだが、他人に説明することを考えると億劫になってしまう。弊社は工事屋なので基本的には「見せる」とか「直す」という観点で物事を考える癖があり、直感的に「インターネットは、このままでは商売にならない。」と感じた。そして、数ヶ月間が過ぎた頃、NECがWINDOWS95搭載(Aドライブ)バリュースターを1995年12月発売した。事前宣伝効果も充分で秋葉原全体で品切れ状態になった。が、1台をゲットした。MICROSOFT PLUS!が別売りだったと記憶しているので、多少ハマったのであろうが、1回目よりも楽だったのであろう、あまり苦戦した記憶がない。マニュアル作りを趣味としているので、何度も再インストールしては実験を行った。
「インターネットは普及する。」
簡単になった設定は多少癖はあるもののなんとか一般受けするに違いないと感じた。しかし、大きな問題がそこには残っていた。
「インターネットは仕事の役に立たない。」
という点であり、会社に導入する言い訳(?)が思いつかなかった。唯一の救いはNECの新製品であるというポイントだけであった。DOSのソフトを有効利用でき、CPUが早くなった(実際には立ち上がりなどを考慮すると遅くなったのだが)点を会議でアピールすることにした。
日本のパソコンを語るにはNECを外すことはできない。個人的にパソコンを自宅で所有していた方々やNEC以外のパソコンメーカーと取引のあった会社を除けば、当時オフィスにあったパソコンの殆どはNEC製品であったと思われる。そのNECが1995年末にWINDOWS95搭載マシンNECのバリュースターシリーズを発売した。市場において圧倒的なシェアを握っていたNECがAドライブ起動型ではあったが、WINDOWS95を搭載したパソコンの発売を開始したことは、オフィスにインターネット端末を持ち込む絶好の機会を創造した。
しかし、マシンはちょっといじればインターネットに接続できるようになったが、ワープロ、表計算、CADなど固いソフト専用で、LANよりもスタンドアローンのパソコンが全盛だった時代に「いきなり現れたインターネット」は、「パソコン=オタク」、「インターネット=エロ」、「インターネット=役に立たない」というイメージが先行する社会の逆風の中で、「どのように発展するかはわからないが、面白いので必ず発展する。」という意見が言えるか言えないかが、たぶん各社の技術担当者の頭を痛めた部分なのではないだろうか。「会社のパソコンでインターネットをする」ことがいかに冒険であり難しいことであったことであろうか。(笑)
もちろん弊社も例外ではなく、インターネットの将来を見据えて導入を決定したわけではなかった。社内会議では「世の中に広く普及するようなモノなのか」「おたく系のモノじゃないのか」等、様々な意見が飛び交い、挙げ句の果てに「宣伝効果だけでは一銭の得にもならないが、モノを売ることができるショッピングサイトならメリットがあるのではないか」という結論を導き出してしまうのである。(驚)
開発担当としては面白そうなので、とりあえずホームページくらい適当に作ろうよと軽く切り出したつもりだったのだが、話しの展開上、ショッピングサイトに結論が流れ着いてしまい、かなり困惑したのを覚えている。しかしこれが今頃ネタになるのだから、人生なにが幸いするかわからないものである。(笑)

さて、いきなりショッピングサイトである。ご存知のように弊社はアンテナ工事屋であるからして、売れるモノは「テレビアンテナ」くらいのモノである。しかし会社にあるモノを売る気はさらさらなく、「売れるモノを売りたい」というスタンスで行くことにした。当時はまだネットでモノの売買をすること自体、不自然と思われていた頃であったから「当たり前の戦略」では売れるわけがないと考えたのである。
商店のイメージは「変わったモノを売っている店」。コンセプトが決まれば、話しは早い。実際の商店ではヒト・カネ・モノと3大原資があるようだが、店員はパソコンだし、土地の購入も店舗の建設費もかからない、モノは後で考えればよいと気づき、とりあえず「とりあえず」無いと困ることから始めることにした。
ネットという用地を購入し、ホームページという商店を建設した。用地選びは営利目的のホームページ使用可のプロバイダーを探すことですぐに決まった。どこのプロバイダーも立地条件や物件の規模・家賃もほぼ同じであり、固定経費となる部分に迷わずに済んだのが良かった。その他の経費についても、店員は実際には必要ないし、商品在庫もほとんどいらないのだから、まったく夢のような商売である。
取引が成立した場合の決済方法については、クレジットカードを使った電子商取引がお手軽そうでよいなと考えもしたが、セキュリティに問題があるなどという話しもあったりして不安でもあったし、何よりもクレジットカード会社との契約方法ややり方がよくわからなかったので、「申込みは申込用紙をネットから印刷してもらって銀行の振り込み用紙の控えを貼ってFAXで送ってもらう。FAXの申込書と銀行への振り込みを確認したら商品を送ります。」という方法にすることにした。メールぐらい使えばよかったかなと今となっては思うが、当時確実性を選択すると、この方法が一番安全なように思えた。
インターネットに商店を出すのは非常に簡単であった。という結論になるのだが、実際の商店を開店させるのとかなり異なる箇所があった。商売というものはモノの売買であるから「モノ」が一番重要なのだが、「モノ」よりも先に「店」がなければいけないというのがインターネット商店の特徴であると感じた。
さて、「変わったモノを売る店」ができたので、「変わったモノ」を探すことにした。
余談だが、店の名前は長男が3才の誕生日だったので、「龍之介3才」から「dra3」として、「dra3」から「龍物産」とした。(長男も10才になった。)
前編、完。

後編「5,000個、売れる!!」をお楽しみに。